〔おもしろ雑学〕
日本初の電報事業が開始
電信の研究を行っていた元・薩摩藩士の寺島宗則は、維新政府のもとで神奈川県知事となった際、政府に電信事業は国家の急務であると進言した。
明治政府はイギリスから専門技師を招き、東京~横浜間の32kmに593本の電柱を建て、わずか3カ月で工事を完成させた。そして、1869(明治2)年12月25日に、東京~横浜間に電信が開通し、初の和文公衆電報の取扱いが開始され、このあと電信はまたたくまに全国に敷設されていった。
当時、電信機はテレガラフと呼ばれ、仮名1文字が銀1分、電信局からは飛脚が配達していた。ちなみに当時の銀1分は米五升に相当する高さであったが、開通3カ月で約3000通の利用があったという。