江戸:
芋の煮えたも御存知ない(いものにえたもごぞんじない) 芋が煮えたのかどうかの判定もできないことから、世間知らずでおっとりした人を馬鹿にし嘲る言葉。
京都:
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから) 鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰すれば尊いものとなることから、信仰心の不思議さのたとえ。新興宗教などに対しての皮肉に使われることが多い。
大坂:
炒豆に花が咲く(いりまめにはながさく) 炒った豆に花が咲くことはありえないことから、とてもありえないことが起こる様子、奇跡が起こることのたとえ。一度衰えていたものが再び勢い盛り返すこと。ありえないことが実現すること。
〔小吉〕今日のあなたは小吉とはいえ吉の範囲にいます。油断することなく心しずかに暮らしましょう。